2010年5月19日水曜日

驚くべき竹の生長

竹の伸びが早いのはよく知られているが、実際その速度は想像を越えるものがある。 写真のモウソウチクは24時間でなんと120cm前後も生長するのである。モウソウチクに限らず、竹の仲間は一日1m以上伸びることも珍しくないのだ。 実に一時間当り5cmも伸びることになる。 竹の細胞は一秒間に約9万個の細胞を作って伸びていく。だがある程度に太くなると幹の成長は止まり、丈だけが長くなる。
 
 「雨後のタケノコ」という諺があるように、雨の後は竹の生長が早いらしい。
いつかの名探偵コナンで、雨の後の竹の生長を利用してあらかじめ眠らせておいた被害者の首を吊らせて殺すというトリックがあったが、あの時コナンが「雨の後の竹は2m近くも伸びる」と言っていたような記憶がある。 一日で大人の身長を超えるほどに生長するのだから驚異的だ。
 
 竹は全体が伸びるのではなく節ごとに伸びる。線引きで例えると全体がびよーんと伸びるのではなく、目盛りの間がそれぞれ伸びていくのである。その節もちゃんとタケノコの状態のときにできていて、数もほぼ一定している。タケノコを縦に切ってみると節が沢山あるのがよくわかるだろう。
 しかし、竹がなぜこんなに一気に伸びる事ができるのかはよく解っていない。身長が伸びないと悩んでいる方には、竹はうらやましい植物かもしれない。

2010年5月18日火曜日

甘柿と渋柿の見分け方

売っているものならともかく、人からもらったりこっそり失敬してきた柿を食べるのはある意味賭けである。 甘いか渋いか、正にロシアンルーレット。甘けりゃ天国渋けりゃ地獄。柿は喰いたし舌は惜しし。切って皮をむいたはよいが口に入れる決心がどうにもつかない。結局家族の誰かを騙して人柱に立てたりする。 ぜーんぶ甘柿ならいいのに、一体どうして渋柿なんてものがあるのだろうか?
 
 食べるときには渋はいやなものだが、実は結構有用なのである。渋みの原因は果実の中のタンニン細胞にあるシブオールという物質。名前からして渋そうだ。シブオールが果実の中で溶けた状態だと渋みが発生する。つまり甘くするにはシブオールをなくすか溶けなくしてしまえばよいわけで、よく熟成させるとこの物質は大概無くなってしまう。 もともと大体の柿は渋柿なのだ。 そしてこの渋は昔は雨傘や渋紙など防水や防腐に使われ、今では主に染料として利用されている。
 
 さて、気になる見分け方だが、これは切って見るまで判らない。いや、種類によっては切っても判らないことがある。 しかし一応「これは多分甘いよ」という目安はある。
それは柿の切り口に黒い粒々があるかどうか、ということ。粒々は不溶性になったシブオールが固まって見えるもので、これがあると渋みが少ないことを意味する。 だが、この斑点が全くないから必ず渋いというわけでもなく、ここが難しい所だ。要するに黒い斑点は甘いことの「お墨付き」だと考えればよいだろう。 そしてお墨付きのないものは…やっぱり誰かを人柱に立てるしかない?

2010年5月17日月曜日

色つきタイヤはなざ無いのか

現代はカラー志向である。一昔前は、この製品にはこの色という「定番の色」があったが、今はカラーバリエーションも増え、それによって売り上げが増減する世の中だ。
 だが、やはり変わらぬ定番の色を守っているものも数多い。例えば鉄アレイ。普通あれは必ずといっていいほど黒い。やはり黒が一番重厚感が出るからだという。また、赤や黒の冷蔵庫なんていうのもない。白や水色など清潔感がある色が選ばれている。
 
 こうしてみると、製品のイメージにあった範囲内でカラーが決められているのがわかる。
だが、車のタイヤはどうだろうか。工場で使われるフォークリフトなどごく一部を除いて、「黒」しかない。ホイールの色は数あれど、タイヤは黒以外まず見かけない。 赤や白のタイヤがあっても良さそうなものではないか。なぜタイヤは黒色しかないのだろうか?
 
 タイヤはゴムでできているが、ゴムそのものは元々乳白色をしている。つまり、タイヤの黒は天然のものではない。
 実は、黒色の正体は炭素の粉である「カーボンブラック」と呼ばれる物質。カーボンブラックはタイヤの原材料の実に25%程度を占めており、補強剤として使われているのだ。
もしこれが入っていないとタイヤは消しゴムのように柔らかくなってしまい、とても道路を走ることはできない。タイヤの黒にはそれなりの理由があったのである。
 では、どうしても色つきのタイヤを作れないのかというと、まあ作れないことはない。他の補強剤を使えばカラーのタイヤを作れるが、強度は著しく落ちてしまう。カーボンブラックに代わる材料はいまだ発明されておらず、実用に耐えるカラータイヤは作れない、というのが実状のようだ。
 
 いずれ技術が進めばカラータイヤは当たり前の時代が来るかもしれない。 だが、そうなってもやはり黒タイヤが一番人気がありそうである。

2010年5月16日日曜日

「円」という単位は一体誰が考えついたのか?

日本の通貨単位である円、日本銀行券を見ると「YEN」と表記されている。
しかしこれでは発音は「イェン」になってしまう。なぜそのまま素直に「EN」としなかったのだろう? 
 それは「EN」では「イン」と読まれてしまうおそれがあるため。外国人は「イ」という発音が苦手で、そのためにYをつけて「イェン」と書くのである。 これは明治時代からだというが、造幣のアドバイスをした外国人が聞き間違えたのかもしれない。
アメリカの「dollar」これは本来の発音は「ダラァ」といった感じだが、日本人はドルと読む。それを考えればおあいこのようなものか。
 
 さて、この円、なかなかうまいネーミングだと思うのだが一体誰が考えたのだろうか。
政府と言ってしまえばそれまでなのだが、中でも大隈重信は円の成立に大きな役割を果たしといわれ、円の考案者といえば彼の名が挙げられることが多い。 重信は今まで四進法だった通貨単位を十進法にしたり、銭・厘の導入など新通貨の成立に貢献したのだ。 それに、円について反対意見が出たときは親指と人差し指で円を作り、「円形がお金を意味することは誰でも知っている。どうだろう、新単位はやはり円がよいのではないか」と言ったとか。
 何気なく使うお金にも意外なエピソードが隠れているものである。

2010年5月15日土曜日

スイカは野菜か果物か?

照りつける夏の日差し。熱い太陽。立ち昇る陽炎。麦わら帽子に虫取りあみの子供たち。姿を見せぬセミたちの大合唱。
そして、縁側に蚊取り線香とよく冷えたスイカ。お父さんはこれでビールがあれば最高である。 
 
 スイカの原産地はアフリカのカラハリ砂漠で、日本へは16世紀ごろ中国経由で渡来したといわれる。 中国つまり西方からきた瓜ということで「西瓜」の字が当てられる。現在栽培されている甘味のあるものは明治時代から品種改良重ねて作られてきたものだ。 普通は吐き出す種も食べられ、フライパンで炒めて皮をむいて中の白い部分を食べる。中国料理にも使われている。
 
 さて、西瓜は野菜か果物かという論争はあちこちで見られさして珍しいものではない。 甘味があって庶民の代表的「果物」ともいうべきスイカが実は野菜だとしたら、ちょっとがっかり(?)である。
しかしスイカは野菜に分類するのが正しいだろう。果物と野菜の違いは果実が樹になるか地面に這ってできるか、といわれる。 甘味があって樹になるものが果物だとしたら、スイカはこの範疇から外れ野菜である。 それにスイカはウリ科の植物。ウリを果物という人はいないだろう。こう考えればスイカを野菜と定義するのは致し方ないといえる。
 普通果物とされていても実は野菜というものはメロンやイチゴなどスイカの他にもある。結局の所これらはたまたま「甘い野菜」というだけのことなのである。 
 
 夏はスイカの他にもキュウリやとうもろこしなど、野菜がおいしくなる季節でもある。 冷えたキュウリに生味噌をつけてガブリ、なんていうのも乙なものかもしれない

2010年5月14日金曜日

しゃっくりの上手な止め方

しゃっくりというヤツはあくび、クシャミと並んで困った生理現象の部類に入る。クシャミなんかはまだ出そうになるのがわかるし、こらえようもあるのだが、しゃっくりはいつくるのかわからないだけにタチが悪い。おまけになかなか止まらない。だが、実はこれにはうまい止め方があるのである。それをこっそり伝授しよう。
 
 しゃっくりは急に寒いところに出ると起こる場合もあるが、多くは食後に起きるといわれる。
これは食事によって胃が膨れ、横隔膜を押し上げるためだ。 そういえばたらふく食べた後はよくしゃっくりが出る、という方もおられるだろう。
 もともと、しゃっくりは横隔膜の緊張と弛緩が呼吸のリズムと一致せず、一種の痙攣状態に陥ることによって起こる。ということは、何らかの方法でこの痙攣を止めてやればよい。この手段として最も効果的で簡単なのは、息を止めてしまうことである。 といってもピタリと止めるのではなく、思いっ切り息を吸い込んでグッと止め、あごを引き、20秒ないし30秒ほど止め続ける。これを寝転んでやると更に効果的である。立ったままでも弱いしゃっくりなら抑えられるが、強いものは横にならないとダメである。
 この原理は恐らく、肺を大きく膨らませることによって隣接する横隔膜の痙攣を強引に抑え込んでしまう、ということだと思う。思う、というのは経験的な立場からで、何も確固とした資料があるわけではないからだ。まあ理屈はともあれ、止まりさえすればそれはそれで文句ない。
 
 ちなみにこの方法、家の中なら問題ないが、外では結構難しい。立ったままでは息も止めにくいし、思いっ切り止めて必死な顔でいると、変な目で見られることが多々ある。しかも、会話も出来ないからますます「?」となり、いつしか人が近よらなくなるかもしれない…

2010年5月13日木曜日

ドーナツに穴があいているのはなぜ?

ミスタードーナツにでもいってドーナツを買ってみると、実に個性豊かなバリエーションがあり、一概にドーナツ=穴があいているとは言えなくなってはいるが、やはりドーナツといえば誰もがあの典型的なカタチを思い浮かべるだろう。
 「ドーナツ型」と言われるほど社会的認知度の高いドーナツだが、一体アレ、なにゆえあのような穴があいているのだろうか? まことにくだらない、この上なくどうでもよい疑問だが、気になるものは気になる。そこで、「ドーナツの穴の謎」を調べてみたい。
 
 穴といえばクッキーに穴を開けるように熱が通りやすくするためかとも思われるが、穴のあいてないドーナツがあることからすれば、穴が不可欠であるとは言えないだろう。
それとも、棒にでも材料を巻きつけて焼くためにあのような穴ができるのだろうか。
いやいや、それも違う。 実は、今日知られている理由は意外にあっけなく、「オイオイオイそんなんでいいんかい」とでも言いたくなってしまうものだ。
 
 穴あきドーナツの犯人は、アメリカのハンソン・グレゴリーなる少年。母親が作っていたケーキに、何を思ってか衝動的に穴を開けたというのである。錯乱したとしか思えない。 「ドーナツには穴が開いているべきである」彼の本能がそう告げたのだろうか。この気持ち、分からなくもない。思春期の破壊願望という奴ではなかろうか。 しかし、このエピソードには別バージョンがある。
 ハンソンが母親の揚げるドーナツの真ん中あたりが生っぽいと文句をつけるので、母親が真ん中をくり抜いて揚げることにしたのだそうだ。 母親が「よく火が通るように」という親切心からそうしたのか、「だったら真ん中食べるんじゃないっ!」という怒りからそうしたものかは知る由もないないが。
 しかし、こんなエピソードがどうして広く知られるようになったのだろうか。そのほうが謎である。